ハギノカムイオーが亡くなったというニュースがあったので、ちょっとカムイオーのことなど。
私が競馬に興味を持ったのは昭和55年の桜花賞でのハギノトップレディがきっかけです。
(→そのあたりについては「ハギノトップレディについて」に書いてあります)
ハギノカムイオーはトップレディの2年下の弟で、セリで1億8500万円という当時の史上最高価格で落札されて話題になりました。トップレディが活躍していたし、すごく期待されていたと思いますが、生涯成績はたぶん、期待されていたほどではなかったかもしれません。デビュー後3連勝で皐月賞に出走した時は、かなり盛り上がってたと思いますが、結果16着。ダービーは出走せずにNHK杯に出走しましたが、これも12着。秋までお休みして、神戸新聞杯と京都新聞杯を2連勝して菊花賞に出走しましたが、これは15着。基本、短~中距離系の馬だと思うので、菊花賞はさすがに「無理じゃ・・・?」って思ってました。またしばらくお休みして、スワンS、宝塚記念、高松宮杯を3連勝。その後はオープン戦、ジャパンカップ、有馬記念と出走しましたが7着、16着、16着ということで、有馬記念を最後に引退しました。
逃げ馬だけに、勝つ時は逃げ切りで鮮やかなんですけど、負けるときは気持ちいいくらいの大負け。今みたいに、距離別のレース体系が整備されて、そういう路線でいければもっと活躍した馬だったんじゃないかなと思います。引退後は種牡馬になってましたけど、これといった活躍馬を出すことはできなかったのが残念です。2000年に種牡馬を引退して、功労馬として余生を送っていたようですが、2013年4月10日午前8時10分に老衰のため亡くなったとのことです。トップレディとともに、出走時にはいつもスポーツ新聞買ったりして、思い入れの強かった馬なので寂しいですけど、34歳とサラブレッドとしてはかなり長生きしてくれたので、大往生かな。さよなら、カムイオー👋 (何か書いてたら泣けちゃうな・・・😢 デビューから全レースリアルタイムで見てた馬だしね。)